私の「地元」の在り方(ありか)

 沼津に来ている。

 はじめは「ラブライブ!サンシャイン!!」の聖地なので……という感覚だったのが、今となってはただ個人的に好きで遊びに来る。

 コーヒーやケーキの美味しいお店、魚介、お酒、景色や空気、匂い……時々しか来ないからこその非日常感と、にもかかわらず肌に合う感覚と、そんなものが同居しているんですな。


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 ラブライブ!シリーズのアニメがかなり景観に力を入れているのは、アニメを見た方には分かるかなと思う。

 例えば「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursは沼津発のスクールアイドルで、そのアニメは現地でアニメファンでない方をして「これなら沼津だ(モチーフに使っている、とかではなく、生きた『沼津』の土地である)」と言わせるような作品だ。同アニメの函館編でも、やはり現地に赴くと同様の感情を抱く。

 

 そんなラブライブ!シリーズを追っているうちに、あるいは沼津や函館に行くうちに、考えるようになったことがある。

 

 

「私は、地元のことをどう思っているのだろう」

 

 

 先日もキャストさんから「みんなの地元も大切にしてほしい」というような言葉が聞かれた*1。そんな中で、私にとっての「地元」がなんなのか、どこなのかがいまいちピンとこなかったのだ。

 

 私が物心ついてから引っ越しを経験したのは、社会人になりひとり立ちした一度のみだ。それ以前にも市内を一度だけ引っ越したことがあるようだが、なんにしても地元を聞かれれば実家の周りである。なんなら現在も実家から自転車で一時間前後の距離に暮らしているので、ほとんど地元といっていい。住み慣れた土地だ。

 

 だが、年に数回実家に帰っても、自分のルーツの土地であるという実感がない。むしろどこか知らない土地に訪ねたときのほうが、よほど安心感がある。実家は体感的にアウェーなのだ。

 家については、私が家を出る少し前から家具やものの配置がどんどん新しくなっていたことが原因だろう。私の部屋があった場所も別の用途で使われていて、イマイチいどころが悪いというか、居場所がない*2。建物の外観に面影はあるが、その程度だ。

 土地としては、ベッドタウンであったからか家しかない。駅にも何もなかったし、なんなら今も何もない。その家もどんどん建て替わって、もはや知らない道のような気のするところも多い。家の裏の川は大して変化がないが、それだって土嚢が積まれたりなんなりで、だいぶ様変わりしている。

 

 

 ただ、最近になって……近所の小さな神社だとか、実家の中の階段だとか、そういうものに懐かしさを感じるようになった。

 なんというか、足裏の感覚が「ここをずっと歩いてきたのだ」と覚えているのだ、と思う。

 木の根の出っ張り具合だとか、階段の高さだとか。子どもの頃とは少しずつ違う感覚のはずなのに……それは時間とともに当たり前に変わるものでしかないから、自分のなかに残っている感覚とのすり合わせがしやすいのかもしれない。

 

 私の中の「地元」は土地だとか、人だとか、そういうものではなくて……足の裏にこそ存在するのだ。

 

 

 なあんて、沼津まできて考えるのも、おかしな話だけどね。

 目に見えるもの、そして言葉通りの意味だけが、ものの本質じゃないのかもしれない。「本当に大切なものは〜」という言葉もあるくらいだし。

 

 彼女たちが愛する沼津は、何なのだろう。

 彼女たちは沼津の何を愛しているのか……それもまた、語られている以外の部分にもあるのかもしれない。

 そんなとりとめのないことを考えながら、港から駅方面まで歩いて戻ることにしよう。

 

 

ぶろっく

 

*1:その辺り、私は記憶力に乏しいので正確な言葉はなんと言ったか分からない

*2:別に特別家族仲が悪いというわけではない。